
こんにちは、りんむです。
勉強に記憶力を使わない息子が「祇園精舎の鐘の声~」と歌うように独り言を言ってました(;゚Д゚)!
「呪術廻戦、ちょっと暴力的すぎるかも…」
そんな心配をよそに、息子はどっぷりハマっていきました。
でも、ある日突然「祇園精舎の鐘の声…」と暗唱し始めてびっくり!
東堂葵のセリフがきっかけで、平家物語に興味を持ち始めたのです。
暗唱のズレに悩みながらも、絵本や音読習慣が助けになった我が家の“意外な学び”を、親としての気づきとともに記録してみました。
まさかの“古典”との出会いは、呪術廻戦から

息子が『呪術廻戦』に夢中になり始めたのは、2023年の秋頃。
Netflixで偶然見つけたようで、気づいた時にはすでにどっぷり浸かっていました。
親としては、暴力的な描写や過激なセリフが気になっていて、正直「小学生にはまだ早いかな…」と不安もありました。
でも、ある日突然、息子が

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…
と、唱え始めたんです。

えっ!?それって平家物語!?
驚いて聞いてみると、どうやら登場人物の「東堂葵」が作中でこの一節を口にしていたらしく、それを真似して覚えたようでした。
術を出すポーズをしながら、キッチンでもリビングでも、お風呂でも、どこでも暗唱。
その姿はなんとも不思議で、ちょっと笑ってしまうような、でもどこか誇らしいような気持ちにもなりました。
間違ってる…でも、今は“気持ちよく言える”ことが大事?
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

息子が暗唱している「祇園精舎の鐘の声…」は、完全に正確というわけではありません。
ところどころ言い回しが違っていたり、言葉が抜けていたり…。
聞いていると、「あれ?そこ違うかも…」と気になる部分がちらほら。
でも、本人はとっても楽しそう。
術を出すポーズを決めながら、得意げに唱えている姿を見ると、つい口を挟むのをためらってしまいます。
「間違ってるよ」と言えば、せっかくの興味や自信をそいでしまうかもしれない。
でも、せっかく覚えているなら、正しく伝えたい気持ちもある。
親として、どこまで介入すべきか…ちょっと悩みました。
そんな時、ふと思い出したのが、家にあった『祇園精舎の絵本』。

読み仮名もふってあるし、絵もダイナミックで、息子にも分かりやすいかもしれない!!
「これ、東堂が言ってたやつだよ」と渡してみると、興味津々でページをめくり始めました。
絵本と音読が、アニメの“学び”を支えてくれた


息子の暗唱をそっと支えてくれたのが、家にあった『祇園精舎の絵本』でした。
2ページで1文ずつ進む構成で、絵がとてもダイナミック。
読み仮名もふってあるので、小学生でも声に出して読むことができます。
文章の意味はまだ難しいようで、
「どんな感じだと思う?」と聞いてみると
「さっぱり分からない」とのこと。
それでも、絵を見ながら一緒に話すことで、少しずつ“雰囲気”を感じ取っているようでした。
さらに、我が家では「寝る前1分おんどく」という習慣があり、その本にも「祇園精舎の鐘の声…」が載っていました。
毎晩、息子が自分で読むページを選ぶのですが、音読が面倒な日は「これなら暗唱できる!」と、さっと唱えて終わらせることも(笑)
正確さはまだまだですが、
・声に出して読むこと、
・言葉に親しむこと、
・そして何より“楽しい”と思えることが、
今は何より大切なのかもしれません。
祇園精舎の絵本 [全文]

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の祿山(ろくさん)、これらは皆旧主先皇の政にも従はず、樂しみをきはめ、諌めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心も猛き事も、皆とりどりにこそありしかども、ま近くは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝えへ承るこそ、心もことばも及ばれね。
全て読み仮名がふってあるので、子どもでも読むことが出来ます。
それにしても難しい・・・。
私も読み仮名ふってなければ読めなかった文字もありました・・・(/ω\)
それにしても、同じことを繰り返し言われている気がします。

調子にのってはいけません

気を付けます・・・。
アニメから始まった、思いがけない“学び”の連鎖
最初は「暴力的なアニメを見せてしまったかも…」と不安でした。
でも、息子が楽しそうに平家物語を暗唱する姿を見て、“きっかけ”はどこにでも転がっている“のだと気づかされました。
東堂葵のセリフから始まり、絵本や音読習慣がつながって、息子なりの「言葉との出会い」が生まれたこと。
それは、親が意図して与えたものではなく、本人の興味と楽しさが導いた“学び”だったのかもしれません。
もちろん、まだまだ間違いも多いし、意味も分かっていない部分もあります。
でも、声に出して言葉を楽しむこと、そして「知りたい」「真似したい」という気持ちが育っていることが、何より嬉しいです。
皆さんのお子さんにも、思いがけない“学びの入り口”があるかもしれません。
アニメや遊びの中に、意外な古典との出会いがあることも。
そんな瞬間を、ぜひ見逃さずに、そっと寄り添ってみてくださいね。


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