
こんにちは!りんむです。
日本昔話の裏事情を深堀りしてみました…。
昔話には、はっきりとした“善”と“悪”が描かれているようでいて、
よく読むと、その境界は案外あいまいなこともあります。
今回は「舌切り雀」「花咲か爺さん」「カチカチ山」の3話を通して、
「善悪の境界を考える昔話」をテーマに、親子でも語りたくなる視点で読み解いていきます。
🐦したきりすずめ|“悪いのは誰?”と聞かれたら…


🧺ざっくりあらすじ
優しいお爺さんが飼っていた雀が、意地悪なお婆さんに舌を切られて逃げてしまう。
後日、お爺さんが雀を探しに行くと、雀たちは歓迎してくれ、お礼に“つづら”を渡す。
欲張りなお婆さんも同じように雀の家を訪れるが、大きなつづらを選んで持ち帰り、中から恐ろしいものが飛び出してくる。
🌟表の教訓(一般的な読み取り)
- 優しさには報いがあり、意地悪には罰がある
- 慎ましさと感謝の心が大切
- 欲張りは身を滅ぼす
😮裏の読み方(アナザーストーリー)
でも、ちょっと待って!
この話、「悪いのはお婆さん」とされているけれど、本当にそれだけで済ませていいのかな?
・お婆さんは、雀が糊を勝手に食べたことに怒っていた
・その怒りが“舌を切る”という行為につながった
・でも、舌を切るという行為は、動物に対する暴力でもある
・一方で、お爺さんは雀を探しに行き、何も要求せずに優しく接した
・雀たちはその優しさに応えて“つづら”を渡したが、選ばせたのは雀側だった

つまり、この話は「欲張り=悪」「優しさ=善」と単純に分けられない。
・怒りの感情がどこから生まれたのか、
・罰を与える側の正しさは誰が決めたのか
そんな問いが、物語の奥に潜んでいるようにも感じるね。
それって、ただの“善悪の話”ではなくて、
「怒りの感情がどこまで正当化されるのか」や
「罰を与える側の視点は本当に公平なのか」など、
現代にも通じる“正義の境界”を考えるヒントになるかもしれない。
🧠この話が問いかけてくるもの
🎁おまけ:関連する言葉
是々非々(ぜぜひひ)
良いことは良い、悪いことは悪いと公平に判断する姿勢。
→ 怒りや罰の感情に流されず、冷静に見つめる力が問われる物語。
🌸はなさかじいさん|“良い人”って、どんな人


🧺ざっくりあらすじ
心優しいお爺さんが飼っていた犬が、庭に埋まっていた宝を見つけてくれる。
それを見た欲張りなお爺さんが犬を借りて真似をするが、何も出てこず、怒って犬を殺してしまう。
優しいお爺さんは亡くなった犬のために臼を作るが、それも欲張りなお爺さんに壊されてしまう。
最後には、桜の木に灰をまいて花を咲かせたことで殿様に褒められ、幸せを手にする。
🌟表の教訓(一般的な読み取り)
- 真似をしても、心がともなっていなければうまくいかない
- 善行は巡り巡って自分に返ってくる
- 優しさには報いがあり、欲深さには罰がある
😮裏の読み方(アナザーストーリー)
でも、ちょっと待って!
この話、よく読むと「良いお爺さん」は、犬を殺されたり臼を壊されたりしても、怒らなかったよね。
・犬を殺されたあとも、恨み言を言わず、犬のために臼を作った
・灰をまいて花を咲かせたのも、誰かを見返すためではなく、自然な行動だった
・一方で、欲張りなお爺さんは、同じ行動をしても結果が出ず、怒りに任せて破壊してしまった

つまり、この話は「行動の違い」よりも、「心のあり方」が結果を分けたとも読める。“良い人”とは、ただ優しいだけでなく、怒りを抱えてもそれを人に向けない強さを持っているのかもしれないね。
それって、ただの“善悪の話”ではなくて、
「怒りをどう扱うか」や「人のふるまいにどう応えるか」など、日常にも通じる“心の強さ”を考えるヒントになるかもしれない
🧠この話が問いかけてくるもの
🎁おまけ:関連する言葉
一視同仁(いっしどうじん)
誰に対しても差別せず、平等に接すること。
→ 優しさとは、誰かを特別扱いすることではなく、静かに寄り添うことかもしれない。
🔥カチカチ山|“復讐”は正義なのか?


🧺ざっくりあらすじ
たぬきが、お婆さんを殺してしまうという残酷な事件が起こる。
それに怒ったうさぎは、たぬきにさまざまな罰を与える。
背負った薪に火をつけたり、火傷に塗った薬を毒にしたり、泥の船に乗せて沈めたり——
最終的に、たぬきは命を落とす。
🌟表の教訓(一般的な読み取り)
- 正義の怒りは、悪を討つ力になる
- 嘘や暴力は、最終的に自分を滅ぼす
- 悪いことをすれば、必ず報いを受ける
😮裏の読み方(アナザーストーリー)
でも、ちょっと待って!
この話、よく読むと「うさぎの復讐」は、かなり過激だったよね。
・たぬきの行為は許されないけれど、うさぎのやり方も“残酷”だった
・火傷、毒、沈没——それは“罰”というより“拷問”に近い
・うさぎは正義の使者だったのか、それとも怒りに飲まれた存在だったのか?

つまり、この話は「悪に対する報い」だけでなく、“正義の名のもとに、どこまで人を傷つけていいのか”という問いを投げかけているようにも読める。
たぬきの罪は重いけれど、うさぎの行動もまた、善悪の境界を揺らしているよね。
それって、ただの“勧善懲悪”の話ではなくて、
「怒りと正義の違い」や「復讐の限界」など、
今の社会にも通じる“感情と倫理”のバランスを考えるヒントになるかもしれない。
🧠この話が問いかけてくるもの
🎁おまけ:関連する言葉
正邪未分(せいじゃみぶん)
善と悪の区別がまだついていないこと。
→ 正義の名のもとに行われることが、本当に“正しい”とは限らない——そんな問いを投げかけてくる物語。
まとめ
昔話に描かれる“善”と“悪”は、子どもにわかりやすく伝えるために、はっきりと分けられていることが多いもの。
でも、よく読んでみると、その境界は案外ゆらいでいて、登場人物の感情や行動の背景に、私たち自身の迷いや葛藤が重なることもあります。
「舌切り雀」「花咲か爺さん」「カチカチ山」の3話を通して、
・正しさとは何か、
・怒りとはどう扱うべきか、
・そして“良い人”とはどんな人なのか?
親子で語りたくなるような問いを、昔話の奥にそっと探してみました。
美しさとは、優しさとは、そして自分らしく生きるとは——
次回は、日本の昔話に登場する3人の女性の物語を通して、そんな問いに耳をすませてみます。
次回も読んでくれると嬉しいです(´ー`)

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